・プロセスをトータルで考える必要があるということ。写真は、撮影し、現像し、プリントして初めて完結するものである。その一連のプロセスの中で、どこが欠けているのかを意識する必要がある。
オーディオの場合、スピーカ、アンプ、プレーヤーの予算割合は4:3:3や5:3:2くらいがバランスが良いといわれる。デジタルで写真に取り組むには、カメラ本体、レンズ、スキャナ、モニタ、プリンター、編集ソフトなど、種々必要になるが、これらに掛ける配分というのはどれくらいなのか。入口から出口までバランス良くするべきというのは、オーディオでも写真でも共通することだと思うが、デジタル写真でこのような記述を見たことがない。
また、機材はお金を掛ければどうにかなる一方、使いこなす技術は自分でなんとかするしかない。撮影機材だけ高価なものを買い揃えても、編集やプリントの技術が劣っていれば、それなりの結果にしかならない。エントリークラスのカメラであっても、丁寧に仕上げれば、満足のいく結果になるのではないだろうか。高い物を使っているから良い結果が得られるというのは、考えが短絡的すぎる。
先日買ったプリンターにしてもそうであるが、いきなり最高級のものを買わなかったのは、そういう理由である。各機材のバランス、そして自分の技術レベルをトータルで考え、その上で、ボトルネックとなっている部分を重点的に補うべきだからである。
・写真を観る側にとって、プロセスはどうでもいいということ。写真を観るとき、どんな機材・感材を使っているか、どんなプロセスで作品を作っているかが気になるが、それは自分が写真を撮る側の人間であるからである。普通に写真を観る人にとってはそんなことはどうでもよく、観て、どのように感じたかがすべてである。
35mmと中判だったら、中判のほうが偉いみたいな風潮があるが、それでよいのか? 確かに中判の微粒子感は綺麗であるが、普通の人はそんなことは気にしない。35mmが撮影に適している場合もあるだろうし、ハーフカメラでしか撮れない写真というのは、ある。使い方によっては、「写真の画質」ではなく「写真」として、ハーフ判が中判を凌駕することも十分ありうるということである。カメラの使いこなしは、フィルム100本は通さないと分からないと思う。35mmカメラの使いこなしもできないうちに、中判カメラに手を出すのはどうかと思う。
プリントされた写真を観て、どう感じてもらうかが最も重要なことであり、そこに至るプロセスである機材や感材の選択といったものは自己満足に過ぎないのである。
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- 2013/03/03(日) 00:05|
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